2018年10月9日 岐阜県高山市桜山八幡神社 高山祭当日
行神台(ぎょうじんたい) 下三之町中組
<沿革>
八幡祭の屋台行列の始まりといわれる享保3年(1718年)には、屋台4台が曳かれましたが、その1台「湯の花」から分かれて創建されたといわれます。天保2年(1831年)改修。明治8年(1875年)の大火で一部を焼失し、同16年(1883年)に恵比須台より部品を譲り受け再興されました。その後明治36年(1903年)より破損のため休台しましたが、昭和26年、大修理をして50年ぶりに復活し、屋台蔵も建造されました。昭和43年、昭和59年修理。
- 構造 切破風屋根 四輪内板車
<特色>
祭神として、役小角(えんのおずの)(役の行者)の飾り人形を祀り、中段高欄は玉垣、上段高欄の4隅には密教の法具五鈷(ごこ)をさすという形態になっています。これは、当地域が、役小角を崇敬する一人の行者によって開拓されたため、その遺徳を追慕したことに由来します。またこのような由緒から、以前は道開きの屋台として常に神楽台につぎ全屋台の先頭を曳いていました。
※文書:「高山の文化財」(高山市教育委員会発行)より
ケンシロウ一家↑
神楽台(かぐらたい) 八幡町・桜町
<沿革>
宝永5年(1708年)、以前に金森重勝(左京)から寄進されていた大太鼓を、荷車風のものにのせ、獅子を舞わせて祭礼に巡行しました。享保3年(1718年)には氏子の有力者風井屋長右衛門が神楽台を新調寄付しました。文化12年(1815年)に大改造。嘉永年間(1848年から1854年)に修理。明治37年(1904年)に現在の台形に改造されました。昭和9年、昭和41年修理。
- 文化改修 設計 田中大秀
工匠 風井屋長右衛門
- 明治改修 工匠 村山民次郎
- 構造 屋根無 太鼓昇降 四輪外御所車
<特色>
金森重勝寄進の太鼓は音響遠近にとどろき、文久年間(1861年から1864年)には他組の妬(ねた)みをうけて鎌で切りつけられたと伝えられています。祭礼に際しては、侍烏帽子、素襖(すおう)姿の5人の楽人をのせ、獅子舞を付随させます。棟飾りの鳳凰と、天照、八幡、春日の3神を表した金幣束が独特です。
※文書:「高山の文化財」(高山市教育委員会発行)より
2018 神楽代の前で ケンシロウ りょうすけ↑
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